古事記と日本書紀は、全然違う
古事記と日本書紀の違い、ってご存知でしたか?
現代では、『記紀神話』とひとくちに呼んでいますが、両者は表記も発音も語順も大きく相違があり、別の言語と言っても過言ではない、ほど違うのだそうです。
表記を例にとってみると、次の通り。
【よみ】【古事記】【日本書紀】
ヤマトタケル 倭建命 日本武尊
スサノオ 須佐之男 素戔嗚
イザナギ 伊邪那岐 伊弉諾
なぜ古事記と日本書紀は違うのか
なぜこういうことが起こるかというと、まず初めにスサノヲやイザナギという『音』があって、それを書き記すために漢字を借字したのが『古事記』である。漢字の音のみを利用したもので、意味は問わない。
これに対して『日本書紀』では、すべて意味を優先して漢字を選び直し、また完全な漢文として書き直した。これは書紀の編纂方針が対外用(当時の外交対象は唐)であった為である。現代に例えれば欧米向けの外交文書が英語で書かれるようなものであろう。
特に神名は、古事記のままの表記では「悪い意味となるものが少なからずあったため、ほぼすべてを変更した。ヤマトタケルの事例の原因は『倭』の字にある。倭国、倭人など歴史的にも使用例は少なからずあるのはご存じの通りだが、実はあまり良い意味の漢字ではない。従う者、小さい者などの意味であり、さらに悪い用例さえある。
縄文の神/戸矢学
いわゆる中華思想というやつですね。
『邪馬台国』や『卑弥呼』の貶め方なんてハンパじゃありません。
ヒミコは、『日巫女』のはずなのにね。
古事記は縄文を探る貴重な記録
ただし、これをもって『古事記』を否定し、『日本書紀』を肯定するというのは誤りである。古事記の問題点は、借字した漢字の中に卑字凶字が混入していることであって、つまり音のみで受け取ればよい。
借字して録された言葉こそは、当時の、そしてそれ以前の祖先たちが話していた言葉に限りなく違いものであるだろう。そういう意味ではこれほど貴重な記録はない。まさに縄文文化の重要な手がかりである。
これに対して『日本書紀』は、最初から意図して漢字漢文で記されている。おそらく実際に作文した者は、漢字漢文を母語とする者であったろう。
つまり『古事記』は基本的に語彙も発音も文体も縄文由来の大和言葉であり、『日本書紀』は一部の語彙、一部の発音を除いては大和言葉でないということである。
ということで、やはり古事記ということですね。
素人でも縄文の言葉に迫れそう
戸矢氏によれば、「個々の神名こそは最大かつ最強の縄文情報ではないか」とのことです。
古事記に『ツヌガアラシト』という伝説の鬼が出てくるそうですが、「角(つの)がある人」が訛ったに過ぎないんですって。
その鬼がやってきた渡来地を、以来『敦賀(つるが)』と称するようになったとか。
その解読のポイントは、『漢字に惑わされないこと』。
前回書いた『メ、ハナ、ハ』もそうですが、なんだか今後、使うそばからその言葉の同音異義語のつながりを探ってしまいそうです。
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