【2020/6/4更新】プロフィール

生い立ち

東京都大田区で生まれる。

小学生の時に、学校の勉強では受験に全く役に立たないことにショックを受ける。

中学では授業を無視して塾でのみ勉強し、これ以上受験のない大学付属高に進学する。

慶應義塾大学経済学部卒業も、当時の価値観や解禁前の水面下で動く就職活動等ついていけず、無駄にボロボロになるなら家族の為に働こう、と家業の会社に入る。

 

V字回復と娘の誕生

30代中盤、会社が破綻状態に追い込まれる。

旧経営陣が責任放棄するなか「自分がやる」と決意し、全て個人保証をして経営権を握る。

赤字決算1億・債務超過6億・有利子負債25億という三重苦の状況から、2年で黒字転換、5年で債務超過解消、8年でキャッシュフロー正常化を達成する。

娘が誕生し先天性心疾患により心臓の手術を2回しなくてはならないという状況も、家族をはじめ周りの皆様の応援もあって乗り切ることができる。

 

ブログ開設

会社の混乱期や通院生活を脱しゆとりが出た時、友人と話していてふと

「ああ、もう馬鹿にされてもいいから、自分を出そう。それで去っていく人がいるならそれでいいし、素の自分を好きになってくれる人だけ付き合えばいいや」と達観し、平成28年12月ブログを開設する。

テーマは大好きな『歴史』。

それも、教科書の歴史じゃなくて「こっちが実は本当ではないのか」と自分が思う説を追うサイトにする。

 

サイトの方針(急に丁寧語)

このサイトは、「批判・否定・反対はしない」という方針です。

とにかく肯定的な説や論、前向きに自分の「好き」「楽しい」を前面に出したいと思っています。

マイナス的に見える井伊直弼やロスチャイルド関連の記事は、あくまで現状分析ということで。

一個人が情報発信させて頂ける現状に、皆々様・今の社会には感謝の気持ちでいっぱいです。

 

3 件のコメント

  • はじめまして
    幕末明治の歴史に興味を持っているサラリーマンOBです。類似のサイトに比べて信頼できるサイトだと感じ、メールを差し上げたくなりました。

    HSBCとジャーディンマセソンの関係について

    JM自身も、当時荷為替の買い取り業務など金融業を行っており、
    HSBC設立の発起人にJMは加わっていませんが、確か翌年から出資者に加わったようです。
    HSBC100年史か何かの「WAYFONG」という本に書いてありました。いったん加わった後は、中国大陸の鉄道進出の際に、コンビを組んで進出しているようです。(資金の用意:HSBC、鉄道の敷設:JM)

    ところで、ハリスが、ハード商会の人間を副領事に雇って、小判の両替業務で儲けていた、というご指摘は初めて聞いて驚きました。

    ハリスの業績を書いた本には、裏で小判両替で儲けていたという話は出てきません。
    一方で、当時のプロシアから来たブラント領事の回想録によると、「ハリスは、本国からの召還命令で帰国した」(ドイツ公使の見た明治維新29頁)と書いてあったので、どんなトラブルがあったのだろうと思っていました。この本によると、ハリスは、イギリス公使のオールコックの問題提起がきっかけだったとあります)
    オールコックがアメリカにちくったんですかね。(ちなみに、オールコックは、公使館員だけが、一分銀と銀ドルの有利な交換率を幕府から認めてもらっていたことに関して、休職処分を受けた節がうかがわれます。ハリスを道ずれにしたかったのでしょうか。)

    オールコックは、小判両替で儲けることはしなかったが、ハリスは御説の通り、裏で小判両替で儲けていた、これが原因で、召還命令を受けた(ただし、幕府には召還命令を受けたとは言えなかった。アメリカ本国も通常の公使交代の体裁をとった。)と理解すればいいのでしょうか。

    ハード商会がかかわっているあたりのことを書いた本ご存じであれば、教えていただければ幸甚です。

    • ハリスの件ですが、1つ見つかりました。

      『大君の通貨/佐藤雅美』P92
      ——————————————————
      ハリスが上海で小判を換金した先はオーガスチン・ハード商会である。
      神奈川の副領事としてハリスが上海から連れてきたE・M・ドールは、オーガスチン・ハード商会の代理人も兼ねていた。
      ハリスがハード商会代理人を副領事に任命する、という便宜を図ったのは、小判の取引を通じて一種の友好関係が生まれていたからである。
      オーガスチンハード商会でしらべたところ、小判は金55対銀45よりなる通貨で
      その金含有量から金銀比較はおよそ1対5、国際金銀比価は1対16。
      ドルを公定レートで小判に替えるという利殖はおよそ3倍のもうけになる。
      ハリスは日本が開港し江戸へ常駐するようになってもなお、機会があれば小判の利殖を続けるつもりでおり、上海でしたことも含めて小判のことについては日本側にもオールコックにも知らせないでいた。
      ——————————————————–
      巻末にさらなる参考文献の記載があります。

  • はじめまして。コメントを頂き、誠にありがとうございます。
    コメントを頂けて本当にうれしいです。

    ジャーディンマセソンはとても興味深いですよね。
    日本初の外国商館・横浜山下町1番地の英一番館を立てたのは鹿島創業者だし、JM横浜支店長を吉田茂の養父が務めますし、
    現在でもほぼ当時のまま会社や経営者として子孫が残ってますし。
    もっと歴史として一般化していいのに、なんて思いますが、まさしくHSBCとの兼合いでムズカシイのでしょうか。

    「ハリスが両替で儲けていた、という話を初めて聞いた」とのお言葉、
    あれ?私の印象としては、たくさん記述はありけっこう一般化している話かと思っておりました。
    ですが、今ちょっと確認してみたらすぐ出てくるかと思った参考文献が出てこない・・・
    もうちょっと探してみますので、少しお時間を下さいませ。

    ハリスが上海との間を何度も往復しているのは上海で換金していたからで、オーガスチン・ハード商会のドールを副領事にしたのも、
    開港してもっと大々的に日本の純度の高い金と粗悪な洋銀とを換金する為で、その利益は現在に直すと数億円にのぼる、
    という記述はあちこちにあったと思いましたので。

    今後も歴史談義ができたら嬉しく思います。
    今後ともよろしくお願い致します。

    本野敦彦

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