【2025/9/1更新】プロフィール

サイト立ち上げ

2016年12月にこのサイトを立ち上げ、陰謀論をはじめ、一般的にはバカにされるような主張を勇気を振り絞って発表してきました。

2020年4月には、リアル/オフラインでの発表の場として中目黒駅前にコミュニティサロン『SpiSpa』を立ち上げ、そこでは『在るがままの自分でいられる場所』『批判・否定・反対は一切禁止』というコンセプトの下、皆さんそれぞれが自分の発表をできる空間を作りました。

2021年4月に『タマシイの歴史/精神と物理の融合』を発表し、自分の云いたかったことは表現できたという満足感を得られたと共に、2020年ウィルス・ワクチン騒動により陰謀論も認知が進み、このサイト『Magical History Tour』の果たした役割は一定の区切りがついたのかなと思っております。

 

『現代』の歴史へ

2025年現在、日本国民が急激に貧困化していることを感じます。

それは、非常に偏った政策によるもの、外国からの隠された意図によるもの、が非常に大きいと感じざるを得ないものです。

子供たちのために、精一杯のよりよい社会を残さなければ-

そんな思いから、新たに『現代』のカテゴリーを作り、政策専門の発表の場を新設したいと思います。

 

Only Positive Politics

コミュニティサロン『SpiSpa』の理念を継承し、誰かを『批判・否定・反対』はしない。

罪を憎んで人を憎まず

発表される主張は全て前向き・肯定的な意見・政策のみとし、名称を『OPP/Only Positive Poritics』にしようと思います。

 

独立サイトも構築予定

まずは、この『Magical History Tour』の1カテゴリー及び『Magical History Tour』Facebookページを改良してからスタート致しますが、独立したサイトを構築する予定にしております。

前向きな意見を出し、素晴らしい意見を取り込みながら、もっとも皆が幸せになれる究極の政策を目指し、歩みを進めていきたいと考えております。

 

 

3 件のコメント

  • はじめまして
    幕末明治の歴史に興味を持っているサラリーマンOBです。類似のサイトに比べて信頼できるサイトだと感じ、メールを差し上げたくなりました。

    HSBCとジャーディンマセソンの関係について

    JM自身も、当時荷為替の買い取り業務など金融業を行っており、
    HSBC設立の発起人にJMは加わっていませんが、確か翌年から出資者に加わったようです。
    HSBC100年史か何かの「WAYFONG」という本に書いてありました。いったん加わった後は、中国大陸の鉄道進出の際に、コンビを組んで進出しているようです。(資金の用意:HSBC、鉄道の敷設:JM)

    ところで、ハリスが、ハード商会の人間を副領事に雇って、小判の両替業務で儲けていた、というご指摘は初めて聞いて驚きました。

    ハリスの業績を書いた本には、裏で小判両替で儲けていたという話は出てきません。
    一方で、当時のプロシアから来たブラント領事の回想録によると、「ハリスは、本国からの召還命令で帰国した」(ドイツ公使の見た明治維新29頁)と書いてあったので、どんなトラブルがあったのだろうと思っていました。この本によると、ハリスは、イギリス公使のオールコックの問題提起がきっかけだったとあります)
    オールコックがアメリカにちくったんですかね。(ちなみに、オールコックは、公使館員だけが、一分銀と銀ドルの有利な交換率を幕府から認めてもらっていたことに関して、休職処分を受けた節がうかがわれます。ハリスを道ずれにしたかったのでしょうか。)

    オールコックは、小判両替で儲けることはしなかったが、ハリスは御説の通り、裏で小判両替で儲けていた、これが原因で、召還命令を受けた(ただし、幕府には召還命令を受けたとは言えなかった。アメリカ本国も通常の公使交代の体裁をとった。)と理解すればいいのでしょうか。

    ハード商会がかかわっているあたりのことを書いた本ご存じであれば、教えていただければ幸甚です。

    • ハリスの件ですが、1つ見つかりました。

      『大君の通貨/佐藤雅美』P92
      ——————————————————
      ハリスが上海で小判を換金した先はオーガスチン・ハード商会である。
      神奈川の副領事としてハリスが上海から連れてきたE・M・ドールは、オーガスチン・ハード商会の代理人も兼ねていた。
      ハリスがハード商会代理人を副領事に任命する、という便宜を図ったのは、小判の取引を通じて一種の友好関係が生まれていたからである。
      オーガスチンハード商会でしらべたところ、小判は金55対銀45よりなる通貨で
      その金含有量から金銀比較はおよそ1対5、国際金銀比価は1対16。
      ドルを公定レートで小判に替えるという利殖はおよそ3倍のもうけになる。
      ハリスは日本が開港し江戸へ常駐するようになってもなお、機会があれば小判の利殖を続けるつもりでおり、上海でしたことも含めて小判のことについては日本側にもオールコックにも知らせないでいた。
      ——————————————————–
      巻末にさらなる参考文献の記載があります。

  • はじめまして。コメントを頂き、誠にありがとうございます。
    コメントを頂けて本当にうれしいです。

    ジャーディンマセソンはとても興味深いですよね。
    日本初の外国商館・横浜山下町1番地の英一番館を立てたのは鹿島創業者だし、JM横浜支店長を吉田茂の養父が務めますし、
    現在でもほぼ当時のまま会社や経営者として子孫が残ってますし。
    もっと歴史として一般化していいのに、なんて思いますが、まさしくHSBCとの兼合いでムズカシイのでしょうか。

    「ハリスが両替で儲けていた、という話を初めて聞いた」とのお言葉、
    あれ?私の印象としては、たくさん記述はありけっこう一般化している話かと思っておりました。
    ですが、今ちょっと確認してみたらすぐ出てくるかと思った参考文献が出てこない・・・
    もうちょっと探してみますので、少しお時間を下さいませ。

    ハリスが上海との間を何度も往復しているのは上海で換金していたからで、オーガスチン・ハード商会のドールを副領事にしたのも、
    開港してもっと大々的に日本の純度の高い金と粗悪な洋銀とを換金する為で、その利益は現在に直すと数億円にのぼる、
    という記述はあちこちにあったと思いましたので。

    今後も歴史談義ができたら嬉しく思います。
    今後ともよろしくお願い致します。

    本野敦彦

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