「反対!反対!」は無益などころか有害でしかない
「反対」「反対」と叫ばれるのは、本当に嫌なものです。
一方的な否定しかない、相手に対する許容がない、心にマイナスな感情しか生み出さない、、
反対ってなくても大丈夫なんですよね、それどころか無益なだけでなく有害しかありません。
さらに、「反対」だけでも不健康なのに、もっとおぞましいのは、大したことのない些細な事でも「反対」と大騒ぎすることで、周囲に嫌な気持ちを蔓延させ耐えきれなくして「騒ぎを起こして申し訳ありません」と謝罪するしかなくなること。
これらはもう、相手を、周りを、社会全体を貶めるものでしかない、、
もっと言うと、社会を貶めるのが目的で騒いでいるのではないか、とさえ思えてしまいます。
一切の「反対」をなくしてみませんか?
もう、一切の「反対」をなくしてみませんか?
「反対」という『否定』は禁止、別の『肯定』しか許容しない、とする
『反A案・反Aさん』じゃない、『B案・Bさん』しか受け付けない、、
そうすれば『肯定』のみになる、、どっちの肯定か、前向きな選択という話になる。
世の中に反対意見が存在するのは当然のこと。
自分とどうしても相性の合わない人がいるのも仕方のないこと。
だからと言って、その意見を全否定したり、その人を人格非難する必要などない、、
相手を尊重した上で、自分はこうだと主張するだけでいい、と思うのです。
教育においても否定をなくす
社会においても、政治においても、そして教育においても、『反対』『否定』をなくす。
基本的に日本の受験って、「人を落とす」じゃないですか。
入学に必要な学力に到達している生徒が100人いるが定員は10人なので、あと90人削らなければならない、
そうして、90人削るために不必要に難解で特殊な問題を子供に課して、落とす訳ですが、
そうして『否定』された子供は不必要に傷つき劣等感を背負うし、社会だってその子の能力が開花しなかったら大きな損失だと思うのです。
それぞれが自分を極める、日本はそれができる
その子がその子だったらよい、その人がその人だったらよい ー
その人を否定する必要などない、A案に「反対」したって解決から遠ざかるだけ
自分を極めればいい、A案が気に食わないならB案を提示すれば解決の道が開けるのです。
日本は八百万の神の国。
別に相手に勝たなくてもよい、相手などどうでもよい
それぞれが自分を極めれば、それぞれが神になれる・・、もともと我が国はそういう文化だったではないですか!
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