日本に来た外資系企業の第1号は・・・

外資系企業第1号をご存知ですか?

外資系企業第1号をご存知ですか?

先日話をした友人も知りませんでしたし、思い起こせば私もK大経済学部卒ですが経済史の授業で習った覚えはありません。

ですが、少なくとも企業人であれば日本にやってきた外資系企業第1号がどこの会社だったのかは、知っておくべきなのではないでしょうか。

その第1号は、ジャーディンマセソン社です。

このジャーディンマセソン社、日本史においても、西洋列強が東洋に進出してくる世界史においてもとても大きな役割を占めるのに、そして現在でも繁栄する超巨大企業なのに、なぜその名が知られていないのでしょう。

 

開港と同時にやってきたジャーディンマセソン

ジャーディンマセソン(JM)社は1832年創業のイギリス系企業で、元々はイギリス・中国間のアヘン貿易で財を成した会社ですので、それがあまり知られていない原因の一つかもしれません。

1858年7月29日締結の日米修好通商条約によって開国した1859年7月1日の12日後、7月13日に既に長崎にいたJM社のウィリアム・ケズウィックが横浜にやってきます。

横浜開港第3着とのことです。

ちなみに、開港第1着はオーガスチン・ハード商会という貴金属商社なのですが、これは条約交渉をしたアメリカ総領事ハリスが、日本の小判(金)が世界と比べて異常に安かったことに目を付け、商会の支配人ドールを副領事にして、換金で私腹を肥やそうとして連れてきた会社でした。

横浜に到着したJM社は埠頭に一番近い一等地に、日本初の外国商館を構えます。

さらにちなみに、その英一番館と呼ばれた白亜の巨大な外国商館第一号を建設したのが鹿島岩吉、大手ゼネコン鹿島の創業者です。

龍馬や薩長の後ろ盾となったトーマス・グラバーのグラバー商会は、ジャーディンマセソン社の長崎代理店にあたります。

 

現在でも世界最大の銀行を

そして、ジャーディンマセソンといえば何と言っても、現在でも世界最大の銀行の一つであるHSBC(香港上海銀行)を設立した会社ということでしょう。

香港上海銀行(HSBC)は、ジャーディン・マセソンなどが香港で稼いだ資金をイギリス本国に送金するために設立された銀行である。

wikipedia ジャーディンマセソン

(香港上海銀行のWikipediaでは設立者ではないとの表記あり)

あとは、日本で一番なじみがあるとしたら、マンダリンオリエンタルホテルでしょうか。

JM社は歴史の中だけの会社でなく、現在でも世界に冠たる企業グループなのです。

 

HSBCは香港ドルを発行する銀行

JM社が広く知られない要因は、やはりロスチャイルド絡みだからでしょうか?

HSBCは、香港ドルを発行する銀行です。

アメリカのシティバンクや日本の三菱東京UFJ銀行と同じく民間銀行であるのに、HSBCは通貨を発行する銀行なのです。

通貨発行権はエスタブリッシュメントしか持ちえないもの。

そのことはやっぱりあまり周知されては困ることであり、そのために歴史もそれを避けている、ということなのでしょうか。

そんなの気のせいでみんな知ってるよ、というならいいのですけど。

 

 

【画像】開港直後の横浜/図説・横浜外国人居留地

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です