【開国の父⑧】松平忠固の講演を致します

講演会のご依頼

去年(平成29年)11月に、松平忠固シンポジウムにパネリストとして参加させて頂きました。

その時の話がご好評頂いたからか、今度は講演の依頼を頂くことになりました。

しかも前回は一パネリストでしたが、今度は90分間の一人講演です。

本当にありがたく、心より御礼申し上げます。

皆様の前で講演など誠に恐れ多いことですが、一歴史研究家として皆様と一緒に研究を掘り下げていけたら、と思っております。

 

元々はグローバルバンクの歴史調査で

元々、国際金融史を調べていて、

「日本はいつからグローバルバンクが統括するこの世界経済に組み込まれたのか」

ということを調べていたら、ペリー来航までさかのぼってしまい、

その中でこれまで知らなかった、教科書で習わなかった衝撃の事実を二つ知りました。

一つは「日米修好通商条約は締結時は対等条件だった」ということ、

そしてもう一つが「和親・修好通商両条約を主導した閣僚が存在し、それが松平忠固なる人物だ」ということでした。

 

中日新聞への掲載、そして

これまで【開国の父①】から【開国の父⑦】まで述べたことを周りに訴えても全く興味を持ってもらえず、

「どうしたら興味を持ってもらえるだろうか」と考え、映画脚本を書いたわけですが、

松平忠固のお膝元である長野県上田の方々に興味を持って頂くことができ、中日新聞にも取り上げていただくことができました。

そして、前回のシンポジウム、それを地元新聞にまた取り上げて頂いて、、、本当に心から感謝申し上げます。

 

次回の講演会では

講演会は、平成30年3月3日、長野県上田市にて開催されます。

松平忠固は、現在の政権にも連なる薩長派からも、その前に権力をふるい安政の大獄を行った守旧派独裁者:井伊直弼からも不都合な人物として抹殺された(本当に暗殺されたと思われます)存在。

その資料はとても少なく、しかも残されている資料は罵詈雑言のような悪評ばかりです。

それは、残されているのが政敵の資料ばかりなので致し方がない訳ですが、それを非難し合っても不毛なだけ、井伊直弼らを非難・批判するのでなく、肯定的・前向きな歴史的事実をもって、真の開国の父が正当に評価されるようになる、その一助になれば、こんなにうれしいことはありません。

 

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