幕末のある外交官のエピソード
幕末、開国したばかりの日本。
日本にやってきた外国の外交官が、幕府の役人に対して
あなたは「日本人はそんなことしない」と言うが、到底信じることなどできない
と言いました。
それに対する幕府の役人の返答。
では、旅籠に荷物をわざと忘れてみるといい。誰も盗む者などいないから
その言葉に従い、その外交官は旅籠の集団部屋の片隅に荷物を置きっぱなしにしました。
1週間後、外交官がその部屋に行ってみると、その荷物は置いた時と全く同じ姿でその場所に置いてありました。
1週間の間、その部屋には入れ代わり立ち代わり大勢の人間が休憩をし、宿泊したのに、です。
その外交官は驚愕せずにはいられませんでした。
今でも落し物の財布は届けられている
どの本に書いてあったエピソードだか忘れてしまったので、見つかり次第詳細と出典元を掲載しようと思いますが、私の大好きな江戸時代のエピソードです。
その精神性は今でも残っていると思います。
財布を落としてしまった場合でも、多くの場合そのまま届けられていたりします。
それは、「きっと落とした人は困っているだろう」と見知らぬ相手を思いやっての行動ですし、
落とした財布を受け取った人は、その後の人生でもし落し物の財布を拾ったら、きっと自分もそのまま届けてあげるに違いありません。
そんなふとした思いやりに触れると、本当に心が歓びで満たされます。
終わりのない競争社会で疲弊していく中で
現代社会は終わりのない競争にさらされ、際限なく働かされ、心もすさみがちです。
日本は余った食料が廃棄されることが問題になるレベルに食うには困らない状況のはずです。
それなのに際限ない競争を強いられる生活は、本当に変えることができないのでしょうか。
もっと心豊かな社会にできないのでしょうか。
そんなヒントを歴史の中に見出したいと思います。
江戸時代、日本人は自然と共存して生活していました。
必要以上に取り過ぎず、何でも物は大切に扱われボロボロになるまで使い込み、使い終わって燃やした灰さえ染物として再利用したりする、自然循環型社会を実現していました。
現代科学文明を全否定するつもりはありません。
そうではなく、違和感を覚える現代に対しての答えがかつての日本人の生活の中にあると思うのです。
全てのカテゴリーで【日本】を新設
【江戸時代の文化風習】、【縄文から弥生、倭の時代】、そして学術的にはまだ証明されていないものの日本の祖先と思われる大洪水前の【失われた超古代文明ムァー】。
【維新から大戦まで】を含め、全てのカテゴリーで新たに【日本】を作ろうと思います。
そこでは、その時代における上記のような心が温かく成るようなエピソードや文化風習を追っていきたいと思っています。
日本の歴史は、今の行き詰った世界の中で、幕末の日本文化がヨーロッパで驚きを以て迎えられたように、進むべき指針を示せると思います。
なぜなら、その生活こそかつて日本人が歴史の中で経験したものであり、その精神性は日本人の中に脈々と流れているはずですから。
コメントを残す