【西郷隆盛】西郷どんの魅力を語る

廃藩置県、それは日本史上、最も困難な改革…

一番好きな歴史上の人物は、実は西郷隆盛なんです。

西郷さんの最も偉大な功績は、それは『廃藩置県』でしょう。

廃藩置県、それは『藩』から『県』へ名前が変わった、だけではありません。

それは、それまでの藩といういわば独立国から権限と財政を全て取り上げ国に渡すこと。

維新を成し遂げ明治新政府の高官となった者達にとっても、自分の藩を消滅させる、自分たちの主・殿様に逆らうどころかその地位もお金も剥奪する訳ですから、生半可ではありません。

あまりの恐ろしさもあり、明治7年7月に行われた廃藩置県のすぐ後、11月には岩倉・木戸・大久保らは欧州視察に出かけて行ってしまったほどです。

 

西郷の覚悟

廃藩置県をすることは、日本を中央集権化して欧米列強の侵略から逃れるために必要不可欠な事は分かっていましたが、そんなことはできるはずもない、、

集まった新政府の最高幹部達はみな西郷の顔を見て、西郷が「おいどんがやる」と言ったそうです。

おそらく西郷の覚悟としては、抵抗する藩があったら力でねじ伏せるつもりであったでしょうし、自らの藩や国父・島津久光が反対の動きをしたら、それをも力で押さえる覚悟だったと思います。

その覚悟は『倒幕』を決意した時から一貫しており、腐っても幕府400万石・旗本8万騎、譜代大名を入れたら10倍以上ある戦力差の戦いをするわけですから、卑怯とさえ思える手でも使う、まさに勝つためには手段を選ばず、という覚悟だったのではないでしょうか。

 

侍の心を残したかった

廃藩置県が成就しやがて廃刀令が敷かれ、武士が消滅します。

西郷は階級としての武士はともかく、侍・侍の心を消滅させるつもりはありませんでした。

それは、西郷が明治政府の最高職を放り投げ、故郷薩摩に戻り若者の指導にあたったことから分かります。

いくら科学文明が発達しようとも、武士階級がなくなろうとも、若者に侍の心を残さなければならない、その心を日本人は忘れてはならない、という思いからの行動だったと思うのです。

若者達に担がれる形で始まった西南戦争、西郷は自ら消滅させてしまった武士達に殉じたのだと思わずにはいられません、、そしてそれを思うと思わず涙腺が緩んでしまいます。。

 

大好きな西郷の残した言葉

人の道を行うということは、困難に遭うに決まっているのです。

人々を愛し、正義を貫き、どんな状況でも姑息な手は使わず、いつでも堂々と生きていく。

まさに、人の道を行っていく。

が、そんな正しい生き方をする者を、世間が常にたたえ、歓迎してくれるなどと思うのは、大きな見込み違いです。

世間には常に誤解がある。妬みがある。わがまま者のごり押しがある。悪人の狡猾な罠がある。

人の道を行うとは、こうした障壁に真正面からぶつかることです。だから、困難の連続に決まっているのです。

ひたすら道を行いなさい。

それを貫けば本当の生きる手ごたえとというものが生まれる。誇りが生まれる。

「よし、これでいいんだ」といった充実感が生まれる。生きる楽しみが生まれます。

道を行うとは、苦しみではない。
生きる楽しみである。

話し言葉で読める西郷南洲翁遺訓/長尾剛

 

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