【教育② 指導】試験ではくその子を見る教育へ

昔のレールは今も健在

小学校で受験して中高一貫の進学校に進み、いい大学に入り、2年後にいいゼミに入り、そして一流企業に入る ー

昔ながらの理想のコースですが、就職活動いわゆる就活の激しさが増している現状を見ると、そのレールは廃れるどころか、より顕著になっている印象さえあります。

ですが、『【教育① 受験】終了するセンター試験の後は・・・』で書いた通り、文科省審議会の答申では「それではダメだ」と言っている訳です。

なぜダメで、ではどうするのがよいのでしょうか。

 

試験教育の弊害

試験、試験ばかりで育つと、子供の感覚が『試験で評価されよう』となる ー

先生や世間から評価が試験での点数なので、試験でいい点数を取ること自体が目的となり、試験がないと評価自体がされ得ないので不安にさえなっていく ー

試験とは、問題を作った大人の求める答えを、その通りに子供が答えること

言い換えると、出題者の求める行動を取る子供が評価される、ということ

そうして、大人の言うことを聞く人間、指示に忠実に従う人間が大量生産されることになる ー

 

『誠実』を学べず、歪んだ『特権意識』が育まれる

しかも、子供の教育上さらに良くないのがまさに就活制度。

世間への表向きは就活解禁日があってその日以前は就活してはいけないのですが、それを水面下で行うための仕組みがゼミ制度であって、ゼミOBや担当教授つながりで水面下でマッチングが行われ、いわゆるいい大学の学生は解禁日前に既にいい会社からの内定が決まってしまう ー

そんなアンフェアな行動を子供自身が行い、試験で育ってきた子供はそのことに何の疑問も持たず、進んで本音と建て前を使い分けるようになる ー

人生で最も大切で有効でもある『誠実』というものを学べず、歪んだ特権意識のようなものが醸成される ー

高度成長期のようなキャッチアップの時代は、まだそれでもよかったかもしれません。

しかし、もはや物質的な渇望などない現在、必要なのは理不尽なことでも疑問を感じず行える兵隊のような子供ではないはず。

そもそも、それではその子自身が幸せを感じることができないことも分かり切ってることで、だからこそ文科省審議会さえ「今のままではもたない」と考えてるのだと思うのです。

 

その子の本質的な力を見出す

試験、試験、では問題を作った人を超えることができません。

子供達には、自分たち大人を超えて行ってもらわなくてはなりません。

となると、必要なのはその子の本質的な力を見出し、それを伸ばしてやること

子供が自分の真の力を発揮すればイエスマンにすぎない人間の仕事力をはるかに凌駕することができるし、何よりその子自身が充実した人生を歩むことができる!

その為には、その子の「自分はこれが好きだ」「自分はこう思う」というその自我の目覚めを応援してあげること、自信をつけさせてあげること。

そうして自分に自信を持った子供は、自分の力で立って力強く生きていけるはず。

レールが引かれてなくても、何もないところから、新しいものを自ら生み出す力を発揮できるのではないでしょうか。

 

あわせて読む『【教育① 受験】終了するセンター試験の後は・・・

あわせて読む『【教育③ 学校】「序列が高いから」でなく「好きだから」で選ぶ

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です