失われた10氏族の一つが
旧約聖書に登場するユダヤ人の始祖・古代イスラエル12氏族。
2氏族を残して行方がわからなくなったために『失われた10氏族』と呼ばれるようになりましたが、その内の1氏族が東の果ての日本に渡来した、という説があります。
日ユ同祖論というものです。
日本文化とユダヤ文化には多くの類似点があり、とても興味深いです。
神輿と聖櫃(アーク)
アイキャッチ写真は、右が見本の神輿、左が古代ユダヤの聖櫃いわゆる失われたアークです。
アーク(聖櫃)とは(中略)、全体に黄金が貼られており(中略)、アークの上部には2つのケルビムの像が羽を広げて向かいあっているが、日本の神輿も金で覆われていて、神輿の上には鳳凰(ほうおう)と言われる鳥が作られており、大きく羽を広げている。アークの下部には2本の棒が貫通しており、移動するときには、レビ族が肩にかつぎ、鐘や太鼓をならして騒ぎ立てた。しかも、かつぐための2本の棒は絶対に、アークから抜いてはならなかったように、神輿の棒も抜かれることはない。祭りが終わった後も、棒を差し込んだまま保管されているのである。
wikipedia【日ユ同祖論】
神輿を担ぐとき、「エッサ、エッサ」と言いますよね?
どういう意味なんですか?日本語でエッサって…
実はヘブライ語で『エッサ』とは、『キャリー』すなわち『運ぶ』という意味だそうです。
ま、まさか・・・ですよね。。
前方後円墳も・・・
下記の写真、ご存じ仁徳天皇の前方後円墳です。
この写真でもそうですが、普通前方後円墳はこの向きで見ますよね。
鍵穴の形をしている、って認識しています。
実は、これは見る向きが逆で、円を下に見るのです。
そうすると壺に見えます。
真ん中に突起が見えますよね、壺を持つ取っ手です。
言われてみれば、真ん中の突起は鍵穴には全く不必要なものですよね。
日ユ同祖論では、これはアークに納められていたユダヤ3種の神器の一つマナの壺だというのです。
そういわれると、もう壺にしか見えなくなってくる。。。
聖徳太子の時代にも
失われた10氏族の時期は紀元前の時代です。
さらにもう一時期、聖徳太子の時代に秦氏というユダヤ人と見られる一族が10万人規模で渡来してきており、日ユ同祖がどこから始まりなのか特定が難しい部分もありますが、聖徳太子の時代でも充分に興味深いです。
私も秦氏の根拠地であった京都の太秦など回りましたが(ダビデ神社とかあるんですよ)、それはまた次の機会に致しましょう。
コメントを残す