ダビデ神社を建立した秦氏とは?

ダビデ神社という神社があるんです

ダビデ神社がある」という話を聞いて、前に探しに行ったことがあります。

京都・太秦にある広隆寺の隣に鎮座する『大酒神社』がそれですが(兵庫県赤穂市にもある)、なぜ大酒神社がダビデ神社なのかというと、かつて『大酒(おおさけ)』は『大避(おおさけ)』と書いたのですね。

大避『おおさけ』は『だいびゃく』とも読めるわけですが、さらに昔は『大闢(だいびゃく)』という字だった訳で、この『大闢(だいびゃく)』という字は漢訳すると『ダビデ』のことなのです。

大酒神社を作ったのは、聖徳太子の側近として活躍した秦河勝ですが、この秦氏とはいったい何者なのでしょうか。

 

秦氏とは

文献によると、秦氏は『弓月王の子孫』との記載があり、弓月国とは中央アジアのキルギス辺りに四世紀頃にあった国ですが、つまり渡来人ということになります。

八世紀前後を中心に、その技術力・財力で大きな足跡を残しています。

・伏見稲荷・松尾大社・広隆寺などの創建

平安京の建設にも大きく貢献

・仁徳天皇陵建築にも大きく関わった

・秦氏の一部が移り住んだ大分の宇佐は八幡神社の総本社がある

・八坂神社の勃興にも大きく寄与

・機織りのはたは秦氏のはたで、秦氏によって伝えられた

そして、秦氏には冒頭のダビデ神社を始め数多くの古代ユダヤとの関連性が見られ、そこからこの秦氏はユダヤ民族だったのではないかという説があるのです。

 

秦氏とユダヤの接点

秦一族は、古代イスラエル南王国(ユダ王国)に由来する景教徒のユダヤ人という見方がありますが、それは『ハタ』という読みがユダ族を意味する『(ヤ)ハダ』という説からきています。

さらに、秦氏に関するほとんどのものは、ユダヤ民族の言葉であるヘブライ語で読めてしまいます。

・秦氏の根拠地:太秦(うずまさ)・・・イシュ・マシャ(イエス・メシア)

・八幡神社(やはた)・・・ヤハダ(YHWDH:ユダ/ユダヤ)

・八坂神社・・・Yashashkar(ヤ シャッシュカル)。10支族の一つイッサカル族の呼び名

・稲荷神社・・・イナリ:JNRI/INRI:ユダヤの王・ナザレの・イシュ(イエス)

・広隆寺にある十善戒・・・モーゼの十戒

・『いさら井』という名の井戸・・・イスラエル

それまで『ワ(和)』の国だった日本が、4~6世紀頃に『大和』と書いて『ヤマト』と言うようになったことも、秦氏の影響がないか・・・などとも勘ぐってしまいます。

というのは、、ユダヤのモノに『』がつくのは、ユダヤの神ヤハウェイの『』からくるものだからです。

 

日ユ同祖論には注意が必要

秦氏がユダヤ民族というのは、間違いなさそうです。

とはいえ、安易な日ユ同祖論には注意が必要です。

なぜなら、起源主張などで文化乗っ取りを画策する勢力もいるでしょうし、唯物論を推進して日本の宗教観自体を破壊しようとする流れもあるでしょうから。

ちなみにアイキャッチ画像は、伊勢神宮の参道に並んでいる燈篭。

皇室の十六菊花紋の下にユダヤの紋章・ダビデの星・ヘキサグラムが刻まれておりますが、このヘキサグラムは近年によって彫られたもので元々のものではありません。

 

 

 

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