きっかけはリーマンショック
世界はロスチャイルドが支配している
そんないわゆる陰謀論に対して、元々は「アホか」と思っていました。
ただやがて、「確かにそう言われてみれば全てがつながってくるな」と半信半疑になり、、
2008年リーマンショックでそれが確信へと変わりました。
リーマンショックについてもいずれ投稿するとして、今日はいつからその中に日本も組み込まれるようになったのか、ということに迫ってみたいと思います。
それが、カテゴリーにも独立してコーナー化されている幕末です。
実はペリーもロスチャイルド
ご存知、日本を開国させたマシュー・ペリー。
実は、そのペリーもロスチャイルドだったのです。
ペリーの娘キャロラインは、オーガスト・ベルモントと結婚します。
オーガスト・ベルモントはロンドン・ロスチャイルド商会のアメリカ代理人ですが、ロスチャイルド一族の子供と言われています。
ヨーロッパのロスチャイルドの富を背景に企業買収を繰り返しベルモント自身も大富豪となり、やがて民主党の党首となり20年間その座に君臨することとなります。
ユダヤ人ジャーナリストが書いた『ユダヤの告白』という本では、ペリー提督を日本に送り込んだのは、このオーガスト・ベルモントだと書かれてあります。
華麗なる一族
そのつながりは娘だけではありません。
ペリーが日本を開国するためにはどうすればいいか中国で相談していたのがアヘン貿易で巨万の富を築いていたウォーレン・デラノ船長。
娘キャロラインの娘フレデリカ(つまりペリーの孫)はデラノ船長の娘と義理の姉妹となり、
キャロラインとオーガストの子オリヴァーは、当時アメリカ最大の大富豪ヴェンダービルト家の元夫人と結婚。
ペリーの弟の孫娘は金融王JPモルガンの甥と、ペリーの兄は奴隷貿易の大富豪デウルフの娘と結婚、こうしてボストン財閥が形成されていきます。
ちなみに、デラノ船長の孫がフランクリン・D・ルーズベルト。
ミドルネームの『D』はデラノのDです。
1994年1月からクリントン政権の国防長官に就任したウィリアム・ペリーは、ペリーの5世代後の子孫になります。
日本を開国させた後にペリーが取った行動
モルガンはロスチャイルドではないではないか、という指摘もあるかもしれません。
ですが、金融王JPモルガンも元は父JSモルガンの銀行からキャリアをスタートさせ、そのロンドンを拠点としたモルガン・グレンフェル銀行のグレンフェルこそロスチャイルド一族のエドワード・グレンフェルであるのです。
ペリーは日本との日米和親条約締結の任務が終わると、その帰国の途中に退役します。
なので、帰国はアイキャッチ画像の軍艦ハスケハンナでなくイギリスP&O汽船会社の民間船を使い、途中オランダのハーグに立ち寄り、娘婿オーガスト(当時オランダ駐在アメリカ公使)の家にしばらく滞在したそうです。
そして1855年1月12日にニューヨークに到着しました。
ノーフォークを出港してから2年2ヶ月ぶりの帰国でした。
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