偏差値が高いから好きなのか
「100万もしたんだから」
「ブランド物だから」って
それがどうした 高いから好きなのか
私には私の 好みがある 高級だから身に着けるなんて ばかみたい
松本佳奈さんの唄『ばかみたい』の一説ですが、受験や学校に置き換えるとこんな感じでしょうか。
「皆が行きたがるから」
「偏差値が高いから」
それがどうした 高いから好きなのか
私には私の 好みがある 皆が行きたいから行くなんて ばかみたい
学校も主体的に選びたい
『その学校には、素晴らしい自分の好きな教科がある』
『その学校に行けば、あの先生の授業が受けられる』
そういう理由で、学校(特に大学)も選びたい ー
あの先生の歴史や考古学、哲学、天文学、思いつくところではマリオ・リヴィオの物理学、ジョーゼフ・キャンベルの民俗学などなど・・・
偏差値が高くないといわれる学校や大学は、魅力的な先生を集めればいいと思うんです。
共通テストで序列の高い学校は、そんな努力をする必要もない。
つまらない授業を続けても、逆に新たなことをして失敗して評価を下げる位だったら何もしない方が現状を維持できる訳で、そこに逆転のチャンスがあるのではないでしょうか。
文科系が軽視される風潮
文科系・人文の教科は無駄だ
という風潮が企業経営者や就活学生に根強いことも、低くないハードルかもしれません。
文科系の教科は就職に役に立たない、会社に入った時に仕事の役に立たない という訳です。
確かに仕事の役に立たない上記の教科より、プログラミングなどを学んだ方が実用的ではありましょう。
ですが、人文教科は、生きるヒントを与えてくれるもの。
就職した会社では役に立ちませんが、その会社が倒産した時とか会社を辞めた時とかに、歴史や哲学には先例や糸口が記されていたり、自分の新たな一面を見出すきっかけをくれたりする、人生で役に立つ教科であるので、減らすどころか『大学時代はそれだけでいい』ってくらい増やしていいと思うのです。
主体的に生きる、それが人も社会も幸せにする
人生の目標とは何でしょう。それは幸せになることですよね。
自分の人生を歩むことこそ幸せへの道であり、ですがその道は簡単に見出せるものではありません。
学校にいる間は、あらゆる教科・人類の知恵に触れ、その中から自分の興味・得意を見出す ー
学生期間で見つかるものではありませんが、その見出し方を学ぶことはできます。
その子が主体的な人生を歩み、自分の能力を発揮することがその子を幸せにすることであり、その発揮された能力が社会をも豊かにしてくれる、、これが最もいい形だと思いませんか?
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