【映画脚本】日本を開国させた男/日米和親・修好通商条約締結物語 ②

日本を開国させた男/日米和親・修好通商条約締結物語 ②

日の丸制定

○横浜沖
雪の降るなか、停泊するアメリカ艦隊。

○江戸城・外観
雪化粧している。

○同・将軍謁見の間
簾のかかる上座には人はいない。
老中達が将軍の登場を待っている。
乗全「上様は今更ながらアメリカ国との条約締結に反対されたりしないだろうか」
牧野「政にはご興味ないので問題ない…、ですな、伊勢殿」
わずかに口ごもる阿部。
『失礼します』と本郷が入ってくる。
本郷「申し上げにくい事ですが」
牧野「どうした」
本郷「上様はお出ましにはなられず」
乗全「また御体調が優れぬのか」
本郷「いえ、お元気でいらっしゃいますが、ただ…、他に用事ができたと」
牧野「アメリカ国との和親条約締結の報告ぞ。それより大事な用事…、とは?」
本郷「どうしても今日ということなら、ご案内仕りますが」
顔を見合わせる一同。
牧野「どうしますか、日を改めますか」
阿部「いや、報告は早くせねばならない」
本郷「では、こちらへ」

○同・庭
雪の中を奥の方へ歩いていく一行。
牧野「これは…」
庭の中央に真紅の敷物と艶やかな傘が広げられ、雪見の席が設けられている。
言葉を失う老中陣。
女中と雪見をしている徳川家定(30)。
家定「綺麗であるぞ。お主らも参れ」
無邪気に楽しんでいる家定。
老中達が座ると同時に引き上げる女中。
牧野「上様、これはいったい」
家定「分からぬか、雪見じゃ」
牧野「そうではなく、本日はそんな事より重要なご報告の儀があり…」
気難しい顔の牧野を制する阿部。
阿部「雪が美しく映えておりますな、上様」
家定「であろう。そなたらも一献いかぬか」
徳利を振る舞う家定。
牧野「上様から直々にお酌頂く等、いえ、でなく酒など飲んでる訳にはいかぬ大事な…」
またもや制する阿部。
阿部「恐れながら頂きまする」
家定「そうか、そうか」
杯を捧げる阿部に徳利を注ぐ家定。
家定「そちはどうだ」
にっこりしている家定。
忠優「・・・、頂きます」
杯を受ける忠優。
続いて牧野、乗全も酒を受ける。
全員、杯を掲げた状態のまま
家定「あ、そうそう、重要な報告であったな。余も分かっておったぞ。であるので、大事な公務中に酒など飲んではいけないと思い、実は別のものにしておいた」
一同、訳が分からないという表情。
阿部「別のものとは」
家定、にっこりして
家定「なに、絶対飲まないように、毒を入れておいた!」
あっけらかんと話す家定。
驚く牧野、乗全。
忠優もわずかに表情が変わる。
牧野「ご、御冗談を」
家定「冗談ではないぞ、そなたたちは冗談で公務を行っておるのか」
沈黙する場。
雪がしんしんと頭や肩にかかってくる。
老中達の頭上には傘はない。
家定「将軍から受けた杯を捨てるのか、毒を飲むのか。如何に選択するかな」
にっこりと笑顔の家定。
家定「最高の幕閣と評判のそなた達ならば、最良の判断をするであろう」
にっこりした表情が一変。
家定「夷狄との条約も決めた程だからな」
鋭く冷たい表情。
しかし、それもすぐになくなり、また無邪気に笑う顔に戻る。
凍りつく表情の老中達。
杯にも雪が入っていく。
杯を持つ手がブルブルと震えてくる乗全と牧野。
その様子を見て阿部が沈黙を破る。
阿部「たとえ毒であろうと公務中であろうと、上様より頂いた身に余る杯、喜んでお受けさせて頂きます」
阿部ががばーと一気に杯を空ける。
牧野・乗全「・・・」
続けてすぐさま杯を空ける牧野と乗全。
牧野「身に余る光栄」
乗全「ありがたき幸せ」
家定「ほうー」
手を叩く家定。
一人残された忠優。
忠優を興味深げに眺める家定。
忠優、掲げていた杯を下ろす。
忠優「我は・・・、飲めません」
ギロっと忠優を睨む家定。
驚く牧野と乗全、声も出ない。
家定「なんだ、毒を飲むのが怖いか」
忠優「そうではござりません」
家定「ではなんだ。余の言う事が聞けぬか。これは将軍の命である。主の命が聞けぬというか」
忠優「聞けません」
乗全「い、伊賀殿」
心配して促す乗全。
家定「ではすぐに武士をやめよ。うん、よし。この者は武士ではない。下がってよいぞ」
阿部、牧野、乗全は困惑の表情。
もはや忠優には視線を投げず、再びニコニコとし出す家定。
忠優「我は武士です。いつでも主の為に命を投げ出す覚悟はあります。しかし」
忠優、初めて家定の顔を見る。
忠優「家臣に対し毒と分かっていて毒を飲ませるような行為はあるまじきもの。主は家臣に対し、そのような事をしてはならぬと御諫めする事こそ武士の本懐かと」
家定「主に逆らうのか、将軍たる余の言う事が聞けぬのに武士だというか、お前は」
忠優をにらみつける家定。
忠優「では・・・、武士たる証拠を」
忠優、腰を上げようとする刹那、手で膝を押さえつける阿部。
阿部「上様」
震えが止まっている牧野と乗全。
阿部「上様、現在我が国は存亡の危機に立たされております。あらゆる可能性をも想定し事にあたらねば突破できぬ状況です。それには言いにくい事をも言ってのける者はとても貴重。そういう意味で伊賀守は老中の中でも稀有な存在であり、今の上様への忠義の示し方を見ても充分お分かりになられたかと存じます」
阿部、深い平伏。
牧野、乗全もつられて平伏。
ぽかんとしていた家定、にこっとする。
家定「そうか。伊勢。そなたが言うとそうだという気がする。好きにいたせ。おっ寒いのでもよおしてきよった」
席を立って走り出す家定。
阿部「上様、アメリカ国との条約について」
家定「難しい事はそなた達に任せておる。よきに計らえ」
離れ際に忠優に冷たい視線を送る家定。
雪の降る中、残される老中達。
乗全「いやはや上様は何を考えておるやら」
牧野「全く。無邪気に笑っていながら毒と申された時は、背筋が寒くなりました」
忠優「すぐに吐き出した方がよい。あれは紛れもなく毒だ」
乗全「な、なんですと」
ゴホゴホと吐き出す乗全と牧野。
牧野「こ、ここだけの話、暗愚との話も聞こえておったが…、まさかここまでとは」
乗全「暗愚どころかうつけ…ゴホゴホ」
阿部・忠優「…」

○江戸城・溜間
上座に直弼、下座に本郷が座り、話を聞いている。
直弼「本郷、いつ上様にお会いできるのだ。急ぎの要件があるのじゃ」
本郷、平伏する。
本郷「申し訳ございませぬ。なかなか上様もご体調がすぐれぬゆえ」
直弼「うーむ。どうしてもお会いしたいのだが仕方がない。書状をしたためたので上様にしかとお届けするよう」
差し出された書状。

○江戸城・御側衆控室(夜)
差し出された書状。
行燈の明かりのなか、開いて確認する本郷、驚愕する。

○同・将軍謁見の間
笑顔で将軍の登場を待つ直弼。
そこに現われる斉昭。
直弼「な…」
斉昭「むっ」
直弼、斉昭が来たことに驚く。
直弼「な、なぜ貴殿が。本日はわしが上様と謁見する日でござる。貴殿は刻限を間違っておる」
驚く直弼と怪訝顔の斉昭。
斉昭「何を藪から棒に。間違って等おらぬわ。ワシも上様によばれて参上したまで」
直弼「そんな事はござらぬ。本日は某が献上した書状に対する御面会のはず」
斉昭「ふん、知らぬわ」
直弼の隣に座る。
直弼「そんなはずは」
斉昭「やかましい」
動揺が隠せない直弼。
そこへさらに人、入ってきたのは忠優。
斉昭・直弼「!!」
忠優も驚くが、すぐに平静になる。
直弼「な、な、なぜ貴殿まで」
斉昭、忠優が現れた事に不快な表情をするが直弼の狼狽ぶりがさらに不快。
斉昭「何をうろたえておる、しゃきっとせい」
両者の隣に座る忠優。
そこへがやがやと運ばれてくる豆を煎る用の火鉢や鍋、器。
斉昭「これはいったい…」
直弼「…」
そこへ家定が入ってくる。
家定「そろっておるか」
平伏する三者。
家定、席に着くなり
家定「今日来てもらったのは他でもない。余がそなたらに豆を振る舞おうと思っての」
斉昭「豆にござりまするか」
直弼「豆…」
忠優「…」
懐から出した金の刺繍の入った上質な袋から豆を取り出し、煎り出す家定。

○同・老中御用部屋
阿部と牧野が書状に目を通している。
牧野が一通の書状に気付く。
牧野「伊勢殿、この書状。上様への上申書」
阿部、裏を見ると掃部守の文字。
阿部「井伊掃部守から上様に…」
牧野「本郷が間違えおったか?珍しいな」
書状を開いた阿部、驚愕する。

○将軍謁見の間
ずっと豆を煎っている家定。
待ちくたびれてイライラしている斉昭。
落ち着かない直弼。
斉昭「上様、異人がまだすぐそこにおります。豆などのんきに煎っている場合ではございませぬぞ。上様が先頭を切って夷狄どもを討って頂かなくては」
家定「まぁ、待て。直に煎りあがる」
斉昭「…」
しびれを切らして今度は直弼が
直弼「上様、書状は…、書状に目を通して頂けましたでしょうか」
家定「お主もせっかちよのう。もう少しじゃ」
直弼「…」
家定「ようし、頃合いじゃ」
豆を鍋から皿に移す家定。
それを直々に一人一人に渡す。
家定「どうかの。これは最高の出来じゃぞ」
ポリポリ食べる斉昭、馬鹿にした表情。
直弼も食べるが豆のことなど頭にない。
食べる刹那、匂いをかぐ忠優。
それらの対応を鋭い視線で見る家定。
斉昭「豆は食べ申した。で本日のご用向きは」
家定「どうであった」
斉昭「どうとは?」
家定「豆じゃ」
斉昭「上様、早く本題に入って下され」
家定「だから、豆はどうじゃ」
斉昭「まさかとは存ずるが…、今日のご用とは豆のみと…」
家定「そうじゃが」
直弼「恐れながら、拙者の書状の件は?」
家定「何じゃ、それは」
直弼「…」
爆発する斉昭。
斉昭「上様、今まさに皇国は窮地に追い込まれておりまする。先代の上様、御父上様はそれは憂慮されて涅槃に旅立たれた。ワシは御父上からも上様の事をしかと頼むと仰せつかっております。こんな事ではいけませぬ。上様が武士の棟梁として先頭を切って夷狄に向かわねば」
きょとんとした表情の家定。
直弼「う、上様に対してなんたる口の利き方。控えおろう、水戸殿」
斉昭「なにを。将軍家を補佐する副将軍家であるこの水戸家。譜代風情が何を言う」
直弼「わしは井伊掃部守ぞ。幕府開闢以来、大老を担ってきた我が家門。上様の最も信望厚きは今回初めて参与として幕政に加わった水戸家ではござらん」
斉昭「き、貴様ぁ」
忠優「およしなされ。みっともない」
斉昭「なんだと」
忠優「今日の豆はおいしゅうござりました」
平伏する忠優。
おし黙る斉昭と直弼。
家定「そうか、そうか。そうであろう。先日の神酒は毒であったからのぉ」
ゴホゴホっと咳き込む斉昭と直弼。
おどけながらも眼は笑っていない家定。
家定「伊賀、そちだったらどうじゃ。水戸と彦根、どちらを取るかの」
直弼・斉昭「!!」
忠優「…」
直弼「…」
斉昭「…」
忠優「そんな事より如何に異国と対峙するかこそ思案すべき事でありましょう」
家定「そんな事、ほっ、そうであるな。そんな事はそんな事であるな、あっはっは」
そんな事呼ばわりで怒りの表情を隠せない斉昭と直弼。

○江戸城・将軍謁見の間
満開の桜。
上段の家定に対し、下段に忠優ら老中達、斉昭・慶永ら御家門、直弼ら溜間勢が座している。
阿部「此度の日米和親条約締結に際しご公儀を混乱させ、公方様に置かれましては過分なご心配をおかけしました事お詫び申し上げます。私、阿部伊勢守正弘はその責任を取り老中の職を辞したくお願い奉りまする」
斉昭「なっ」
初耳なので驚く斉昭。
ニヤリと微笑む直弼。
牧野「牧野玄蕃頭忠雅も一蓮托生。共に責任を取り老中の職を辞したくお願い奉ります」
がやがやと騒然となる場。
阿部「…」

○(回想)阿部邸・応接間(夜)
灯りに照らされる桜はつぼみ。
阿部が悩み顔で書状を見せる。
忠優「これは…」
阿部「読んでの通り、私と御老公を幕閣から追放する陰謀でござる」
さすがに驚く忠優。
阿部「溜間諸藩が結託し、井伊掃部守を大老に、先々代将軍家斉公の実子であられる津山藩主松平斉民様を参与を据える、というもの。上様のお手に届く寸前に本郷が間違えたふりをして私の所に」
書状を読んでいる忠優。
阿部「言うまでもなく私より井伊の方が、そして神君家康公まで遡らないと御血筋がたどり着けない御老公と現上様の叔父に当たる斉民様では家格が雲泥の差。その井伊を大老、上様の叔父上を参与へとなると、もはや私の手にはとても追えない」
忠優「…」
阿部「この陰謀を止められる人はたった一人」
忠優「上様か…」
阿部「そう。上様にご判断を仰ぐしかない。しかもこの密議が表に出た後では、いくら上様でも容易に防ぐ事はできまい。である故、陰謀が実行される前に先手を打って上様に信を問う」
忠優「それは…、見事な判断。さすが阿部殿と言えるが。あの上様ですぞ。危険な、あまりに危険な賭けとなるが」
ふっと緊張を解く阿部。
阿部「慰留されなければそれはそれでよい。これまでも分不相応な役割をさせて頂いた。今後は老中を離れて地元・福山に戻れば、それはそれで全力を尽くすまで」
承服しかねる忠優の微妙な表情。

○(回想)江戸城・庭
五分咲きの桜。
枝の鳥を写生している家定。
書き上げた絵をはらりと放り投げる。
乱暴な絵ながらも鳥の目だけが異常に強調されて書かれている。
その鳥の目にギクッとする忠優。
家定「余は忙しい。話があれば勝手に話せ」
忠優「はっ。阿部伊勢守より老中辞意の願いが出されておる件でござりまするが、上様はどのようにお考えで」
家定、興味なさそうに絵を描きながら
家定「本人が辞めたいと言っておるのじゃ。そのようにすればよい」
忠優「恐れながら、阿部殿はやめるべきではありません。阿部殿でないとこの日本国存亡の危機にある未曽有の現状を乗り切ることはできませぬ」
家定「ふーん。そうかの。人材はたくさんおると思うがの。水戸もいるし彦根もおる」
忠優「その二人では話になりません」
家定「なぜじゃ。二人とも頼もしいぞ」
忠優「水戸が力を持てば、その取り巻きである薩摩や越前、伊予など外様の力が増大し、幕政の屋台骨が崩れるでしょう」
刹那に見せる家定の真剣な顔。
すぐにふざけたそぶりになる。
家定「なるほどのー。ならば彦根じゃ」
忠優「彦根は論外です。姑息な手段で溜間を掌握しましたが、藩主として勘定を始めとする自藩の統治経験さえなく、ましてや幕政を担う力など皆無でしょう」
家定「そんなもんかの。だがまだ人材はおる」
家定、ニヤリとする。
家定「松平伊賀守忠優じゃ」
忠優「…」
家定「伊勢及び牧野が退任するとならば、序列的に乗全とお主が上位となる。となれば老中首座は自然とお主となろう。どうじゃそれで。うん、そうしよう」
ニコニコした中に殺気が忍ばれる。
家定「よし、終わり」
家定、席を立っていこうとする。
忠優「お待ち下さりませ」
歩を止める家定。
忠優「ありがたき幸せなれど、上様がなさるべき決断は阿部伊勢守を慰留されること。それが上様にとって、そしてこの国にとって最良の選択にござります」
平伏する忠優。
忠優を見る家定、ニヤリとする。
家定「そうか」
『ああ、鳥が逃げてしまったではないか』と言いながら去っていく家定。
家定を目で追う忠優。

○同・将軍謁見の間
満開の桜。
静まり返っている場。
皆が阿部と家定を見ている。
家定「老中を辞めるというか、伊勢」
阿部「はい」
家定「それは困る」
家定の方に顔を上げる阿部。
直弼、え?と顔を上げる。
ざわっとなる一同。
家定「アメリカ国の特使はまた来年にも押し寄せるというではないか。そちが今いなくなって誰が対応できるというのか」
阿部、家定を見つめる。
家定「それに今朝になって、禁裏が火事で焼けている、との報告も入っておる。今やめるなどそれこそ無責任というものじゃ」
『そんなばかな』と驚きの直弼。
家定「辞職は許さぬ。引き続き余を支え、公儀を取り仕切るように」
混乱顔の斉昭、慶永。
直弼は『どういう事だ?』と溜間Aに問い質している。
ふーっと大きく息をつく忠優。
阿部、目にうっすら涙。
阿部「ははー。もったいなきお言葉。この伊勢、身命をかけましてこの難局に臨む所存でございます」
家定「ん。それでよい。牧野、おぬしも引き続き阿部を補佐せよ」
牧野「ははー、恐れ入り奉ります」
不満そうな顔の斉昭。
悔しげな直弼。
家定を敬意の目で見つめる忠優。

○同・廊下
斉昭が憤慨しながら家老Aに
斉昭「参与を辞める。断じてやめる」
家老A「お待ちを。早まってはなりません」
斉昭「聞いてなかったぞ。伊勢は辞めた後すべてワシに押し付けるつもりだったのか。相談もなしとは同じ事。冗談じゃない。ワシは田園のカカシか」

○彦根藩邸・内
はためく鯉のぼり。
大名行列が出発しようとしている。
出発を待つ直弼と長野主膳(40)。
直弼「くそ、伊勢守め。この直弼を都落ちさせるとは…。ゆ、許さん」
長野「都落ち?我らはこれから都に、京に参るのですぞ」
直弼「む、ま、まぁそうだが」
長野「確かに今回は伊勢守にいっぱい食わされましたが、元々京の警護復帰を申し入れていたのはこちらです」
直弼「う、うむ」
長野「向こうも丁度いいとばかりに我らの申し出に飛びついてきたのでしょうが、策にはまったのは向こうです」
直弼「どういうことだ」
長野「それは…」
バタバタっとはためく鯉のぼり。
直弼「な、なるほど」
長野「結局何も解決などしてません。すぐに異国との問題は再燃します。仮に老中どもが切り抜けたとしたらこの策を使います。逆に失敗して異国と戦になれば、警護地変更で我が藩が捨て石にさせられずに済みます。どちらに転んでもいい訳です」
直弼「な、なるほど。さすが主膳じゃ」
長野「いえ、殿の御見識には及びませぬ」
籠に乗り込む直弼。
長野、お辞儀をして出発の合図をする。
出発していく行列。

○阿部邸・外観(夜}
満月が輝いている。

○庭に面した応接間(夜)
阿部、忠優を迎えている。
月見をしている二人。
阿部「此度の事、かたじけなかったでござる」
忠優「何のことでしたか」
阿部「上様にこの伊勢を慰留するように言上してくれたとか」
忠優「なに、礼には及びませぬ。なぜなら」
阿部の方を見る忠優。
忠優「我が言わなくともあの御方は阿部殿を留任なされたでしょう」
阿部「それは…」
忠優「あの方はうつけなどではない。それは今回の件で確信致しました。阿部殿は以前から確信していた。だからこそ今回の賭けに出られた、違いますかな」
阿部「あの御方は底が知れませぬ。とんでもない大人物やもしれませぬ」
月を見る忠優、穏やかな顔。
忠優の顔を見て満足そうな阿部。
阿部「そうそう、一つ忠優殿にお話があったのでござった」
風呂敷包みを二つ持ってくる。
忠優「こ、これは」
包みを開くと白地に黒の横一文字の旗。
忠優「大中黒の旗。徳川の先祖である新田氏の旗でござるな」
阿部「さよう。アメリカもロシアも船舶旗を掲げておりましたな。我が国も外国と区別する全国共通の船舶旗を選定せねばなりませぬ。この大中黒もその候補ですが…」
もう一つの風呂敷を開ける阿部。
忠優「おお」
出てきたのは日の丸。
阿部「日の丸。いうまでもなく皇祖神・天照大神は太陽神、日出ずる国・日の本の象徴。古くより我が国の象徴として掲げられ、近年でもロシアに対して既に日の丸を掲げておる」
日の丸を手に取っている忠優。
阿部「どちらにするかというところですが」
忠優「いいですな」
阿部「やはり忠優殿も」
忠優「うむ、アメリカにしてもエゲレス・フランスにしてもどうも直線的だが、それに引き換え日の丸はまさに輪であり、和の国を表してもいる」
阿部「ご老公も大中黒は一氏族の印だが日の丸は歴史的に日本の印として使用してきたと賛成でござる。薩摩の島津斉彬殿は早くから同意してるし溜間も異論ござらん」
忠優「紅白で縁起もよい。翻って大中黒では異国に葬式中かと間違われかねん」
阿部「ははは、これ、またそんなことを。溜あたりから激しく追及されまするぞ」
忠優「ふふふ」
阿部「この日の丸のように皆が一つになればよいのですが」
和やかなひと時。
月明かりに映える日の丸。

T『嘉永7年(1854年)7月9日、日本国船舶旗を日の丸に制定』

 

 

 

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