日米修好通商条約は不平等でなかった

日米修好通商条約は不平等でなかった

無能な幕府は外国におそれをなして開国した

おそらくそれが、一般的な幕末の開国の認識だと思います。

ですが、その不平等条約といわれる日米修好通商条約は、実は条約締結時は不平等ではありませんでした。

むしろ日本に有利な形で条約が締結されました。

 

不平等の① 関税について

関税自主権がない

ということが不平等といわれる一つ目の要因ですが、実は関税は締結時は

一般品目は、20%(欧米各国で取引される関税と同率)

漁具、建材、食料などは、5%

酒類は、35%

と欧米諸国同士で結ばれる条件と遜色ない好条件でした。

 

不平等の② 領事裁判権

不平等といわれるもう一つの要因が、領事裁判権の承認。

領事裁判権とは、在留外国人が起こした事件を本国の領事が本国法に則り裁判する権利です。

これを認めてしまったら、外国人は日本で犯罪を犯したい放題になる、という恐れがあります。

しかし、これも条約締結時は全く問題だにされませんでした。

なぜなら、幕府は外国人を野放しにするつもりがさらさらなかった為です。

長崎の出島を少し大きくした程度の横浜・関内(関の中)だけの行き来にして関外に自由に出すつもりがありませんでした。

それまでも犯罪を犯したオランダ人についてはシーボルトのように強制退去させていましたので、アメリカ人に対しても同じ考え方にすぎなかっただけです。

 

それを成し遂げたのは誰か?

新政権が自らを正当化するために旧政権を批判する、ということは歴史の常套手段ですので、非難はしません。

しかし、その見事な交渉をやってのけた当時の幕府政権があまりに低評価なのは気の毒すぎます。

しかも、教科書ではそれをやってのけたのは大老・井伊直弼だということになっていますが、それもちょっと不自然です。

なぜなら、日米をはじめ、イギリスやロシアとも見事に条約締結した有能な5人の初代外国奉行を全員、彼は就任直後に罷免しているからです。

では、鎖国に戻したかったと思われる彼ではなく、誰が日米修好通商条約締結を主導したのか。

次回はそれに迫ってみたいと思います。

 

 

【画像】条約締結をしたアメリカ軍艦・ポーハタン号 wikipedia

【出典】幕末五人の外国奉行(土居良三)

 

 

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